2012年11月8日木曜日

32th TEDee @ Kyoto Univ.

こんばんは!まっきーです。今回の京大テディ―は10人の方に来ていただきました!
そして今回はなおやくんがブログを書いてくれました(私も微妙に書いていますが笑):)
以下ぜひぜひご覧ください!


ニール・ハービソン:「僕は色を聴いている」




"Life will be much more exciting when we stop creating applications for mobile phones and we start creating applications for our own body.


1本目のTEDビデオは、まなべさんのリクエストでNeil HarbissonのI Listen to Colorです。
彩り華やかな服装に、頭になにやらデバイスを装着して登場します。
そのデバイスの名はEyeborg。

彼は生まれつきの色盲で、このEyeborgによって色を音で認識することが出来るようになったといいます。Eyeborgの仕組みは至って簡単で、発色物にデバイスのセンサーを向けるとその音固有の音がイアフォンに流れます。それぞれの色の波長に対して音の波長が割り当てられており、Neil氏はEyeborgの利用者であると同時にプログラミングにも関わりました。

(割当て方は二種類あるようです、詳しくは:http://en.wikipedia.org/wiki/Eyeborg)

File:Harbisson's Sonochromatic Scales.png

Eyeborgは彼に全く新しい体験を齎したと言います。日常生活で色を聴覚で体感し、逆に音楽を聞いて色を連想したり、遂には色の夢を見るまでになったそうです。今となってEyeborgはもはや単なるデバイスではなく彼の身体の一部です。色に対する興味は可視光に留まらず、紫外線や赤外線といった不可視光線も感知できるように改良し、彼の感性は色盲でない我々のそれを凌駕している様にも思えました。

最後に “If we extend our senses, we will consequently extend our knowledge.”。感覚を広げると、必然的に知識が深まる。みなさんもサイボーグになってはいかが?という締めくくりでした。
斬新で面白いトピックでしたが、私のグループでは抵抗感を示す人が少なくありませんでした。

「あなたが色盲なら使いますか?」に関してはyes。
「興味本意として使うか?」に対してもyesでした。
しかし、サイボーグ化に関しては慎重な意見が多かったです。

まず電子機器に感覚を託すことによって、自然感覚が犯され、ついには感性すら失うかもしれないという意見がありました。
また、技術的限界もあります。デジタルが近似されたデータである以上、電子機器には自然感覚になり得ないという意見もありました。確かに微妙な色合いの変化を認識出来るかというと、いくら科学技術が発達するとはいえ難しいかもしれません。
またこれをプログラミングするにあたってNeil氏の感性が関わっているため、他人にとってはそれを強制されている気分にならないか?という問題も取り上げられました。

それに対して反論としては、そもそも私たちの自然感覚がどれほど重要なのであるかということです。
色に結びつけられた感情や感性は、今まで経験や関係性によって蓄積されて初めて生まれるものなのではないか?ということです。

つまり、色を認識するファンクションとしての目よりも、それに関係性を見出だして認識する脳が重要なのでは。
例えば青い物体を見て、それが例えば「海の様」だと自分の脳内で関連付けることができて初めて「青」に意味があるのでは。
仮に人生で初めて青を見たとしたら、その青色になんの感情も抱きませんし、意味も見出だせないでしょう。

そもそも、絶対的に「色」を決めつけることが出来ません。私と他人が同じ色を見ているとは限りませんし、私たちの視野で実際に色を認識しているのは一部で、大半は想像によって着色されているのです。感覚とは予想以上に想像に依存するものなのです。
そして、色が相対的存在であるなら、Eyeborgというキャンバスを用いて色に関係性をつけて行くことが出来れば必要十分なのではないかと主張しました。

エンターティンイングなプレゼンに反し、真剣で深い議論となりました。


マルコム・グラッドウェル、パスタソースと幸せについて



"In embracing the diversity of human beings,  we will find a super way to true happiness."

二本目はMalcom GladwellのChoice, happiness and spaghetti sauce。
彼はパスタソースの革命児、Howard Moskowitzについて紹介しました。

ある時Howardはペプシ社に最よい甘味料の配合の調査を依頼されます。適切な配合は8-12%と事前に伝えられてたHowardは、8%,8.1%,8.2%...と小刻みに配合の種類を変え試飲実験を行いました。普通は10%当たりで最大値を取るベルカーブを予想しますが、出て来た結果はなんの法則性もない散らばったものでした。
これに何らかの結果を求めたHowardは「一つの理想のペプシがあるのではなく、理想のペプシ”達”がある」と結論づけました。

それまでの料理界の常識では一つの理想的な味があり、それに如何に近づくかに腐心する事が正しいとされていました。
イタリアの伝統的なパスタソースは液体比率が高くサラリとしたものでした。Prego社は常識に肖りサラリとした伝統的なソースを作っていました。しかし、Cambell社の登場で販売が落ち込み、Howardに改良を依頼。彼が出した処方箋はバリエーションでした。
そして何種類もののソースを開発し、そのうち固形トマトがゴロゴロ入っているもの(Chunky)が見事大ヒットします。

世間に出す前に試飲試食で調査をし開発するのが一般的とされていたマーケティング方法に対して、消費者の判断にゆだねるという新しい提案をしたのです。
選択肢を増やす事によって、それまで良かったと思ったものよりも良いものがあると感じさせる事が重要であるそうです。

「多様化によって生活が豊かになる」。これと反対の主張をしているBarry Schwartz: The paradox of choiceの一部を立て続けて見ました。
こちらは3ヶ月ほど前の京大TEDeeで使ったもので、選択肢を増やす、あるいは与えることの問題点として、一つに「知識人の選択の責任の放棄」、二つに「選択に対する後悔の増大」が挙げられました。

「知識人の選択の責任の放棄」、というのは医者と患者の関係に顕著だと思います。
つまり医療のエキスパートである医者が、医療の知識において弱者である患者に対し手術を行うか否かの判断を最終的に委ねることは、患者にとって大きな負担となる、ということです。

皆さんは選択肢が多い方と少ない方、どちらがより幸せだと思われますか?
グループ内では選択肢が少ない方がより困らず幸せだという意見が大多数でした。
エキスパートに任せておいた方がよりよい判断を下すことができる、というのは確かに一理ありそうです。
その一方で、判断材料となる情報を多く持ち合わせていれば、多くのオプションがあった方がより幸せなものを得られるのでは、というのが個人的な (まっきーの) 意見です。
しかしそこでinvisible happinesstという自分では知ることのできない幸せというものもあり、これに関しては他人に気づかされない限り自分で探し求めたりすることは不可能でしょう。ここで消費者の潜在意識を掘り起し、商品化して売り込む生産者こそが成功するのではないでしょうか。

最後にBarryさんの名言"The secret to happiness is low expectations."を吟味しました笑
これと逆に期待を高くして不幸せになった、という事例はかなり議論してでてきました。
因みに期待が低いこととペシミストであることは同義なのか否か、という話にまで発展しました。

個人的には期待を低くすると幸せになる、という例についてはもっと議論したかったです笑

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来週も水曜にテディ―ありますよ!
ぜひお越しください!内容は健康志向で攻めています。
参加されたい方は↓からお願いいたします。
https://www.facebook.com/events/367207860036102/

それと、再来週以降に扱う動画、絶賛募集中です。
再来週は恋愛トークでもしようかという話も出てました(?)。なんでもウェルカムなので、面白い動画があればお知らせください!

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