2013年10月29日火曜日

18th TEDee@脳ジム

こんにちは。
遅れましたが10月22日の脳ジムでのTEDeeです。
今回は久しぶりに7人の方が集まりにぎわいました。

今回の動画はこちらです。


(概要)
サウジアラビアの法律には規定がないにもかかわらず、女性が車を運転することは禁じられていました。宗教上、女性の運転は慣習的に禁止されていました。
2年前、この状況にマナル・アルシャリフ異を唱えました。自ら運転してみせることで女性たちに勇気を与え、その様子はYouTubeにも投稿されました。国内ほぼすべての人々は彼女を売国奴、裏切り者として非難する声が上がっています。彼女は一時投獄されていましたが、出所後オスロで開催された講演会で女性の権利向上を訴えました。彼女は女性の自由を勝ち取るために、諦めず行動していくことの重要性を主張しています。

(ディスカッション)
私たちはまず以下の「なぜサウジアラビアの人々は女性の運転に反対したのか」質問から考えていきました。彼女はサウジアラビアでの宗教や慣習が”必要以上に”人々の権利を制限することに異を唱えています。現代社会で女性の運転を禁止している国はサウジアラビア以外に存在しているでしょうか?おそらくここままで女性を差別している例を探すのはかなり難しいでしょう。
 しかしある方が「差別の概念は国ごとに全く異なる」と意見を出してくれました。この意見はとても大きな転換点だと思います。「差別」はとても主観的な表現であるかも知れないということです。参加者の中で、イスラム系の国の女性と出会ったときに彼女から「私は自分の国が周りの方々が指摘するほど、差別を実感していません。加えて日本ほど女性が差別されている国はありあません。」と言われた経験があると、意見がでました。
 現在、グローバル社会という言葉がもてはやされ、しばしば「異文化理解」 という表現が氾濫しています。そして、多くの人々が留学や旅行、その国の文化と積極的に交流しています。しかし異文化理解は自分の文脈から異文化を理解していことが大いにあります。自分の考えの領域や範疇のみで相手の行動、考え、文化を理解することの難しさを表徴していると思います。

  日本の差別の例として、男女間キャリアステップの違いが意見として出てきました。これまで日本企業では男性に比べ、女性の管理職が少ない現状があります。企業は女性が出産や育児などで仕事を退職する可能性があるため、女性には昇進する機会が少ないといわれています。一方で、これは差別ではなく、女性にも仕事の昇進の機会が与えられ、女性自身が敢えて出産や育児を望んで退職しているといった意見も出てきました。では男性が女性に比べて、育児休暇を取得していない事実は会社が男性社員に対する「差別」でしょうか、それとも男性社員自らの「意思」でしょうか(もちろん、取得した場合今後の業務に支障が発生することも大いに関係していると思います)

 結論として「差別」 という表現はとても主観的な表現である、と実感しています。国や文化、会社、学校、家庭、個人など様々なコミュニティの中でそれぞれの人間が無意識的、意識的に関わらず暗黙のルールを作っている。そしてそのルールに、慣習的または道徳的、倫理的に反する行為に対して差別という表現を使うのではないかと考えています。であれば、例えば「バスや電車の中で周りの人々に席を譲る」という行為も何処かの国や地域では、個人の尊厳を汚していることを意味しているかも知れません。



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